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地球の崩壊に寄せて

加藤隆文


 ある科学哲学者から、こういうたとえ話を聞いた。仏師の仕事は二通りに解釈できる。一つめの解釈によると、仏師は自分の頭の中に着想があって、それを頼りに木塊を彫ってゆく。そうして自分にとって納得のゆく仏像をこの世に現出させる。もう一つの解釈によると、木塊には既に彫り出されるべき形が内在しており、仏師の仕事はただ、その運命付けられた形を明らかにすることである。物理学者の仕事についても同様の二通りの解釈が可能なのではないか。すなわち、第一の解釈としては、物理学者は、宇宙を理解するための枠組みを考案し、実験を通してそれを実際の現象と照らし合わせながら、納得のゆく洗練された数式を導き出す。もう一つの解釈によれば、物理学者は宇宙に既に存在している法則を明らかにする。この解釈において、明らかにされるべき法則は前もって形が定まっている。

 敢えて後者の解釈を採ってみる。人間はいくつかの物理法則を発見してきた。これからも発見は続くだろう。しかし、人間が発見しようがしまいが、物理法則はずっと昔から、今のこの様態、前もって決まっているこの様態で変わらず存在していたのではないか。そして、地球が滅び、人類が滅亡しても、宇宙を支配する物理法則はそのまま残り続けるだろう。宇宙にとっては、人間のことなど、知ったことではない。ならば、物理学者の仕事に何の意味があるというのか。もちろん物理学は、人間にとっては何かしらの意味を持つだろう。しかし人類は滅びる。そう考えると、物理学者が彫り出す仏は、人類の墓標である。しかも、人類が生まれる前から形の定まっていた墓標である。

 視点を変えよう。人間の語る物理学の理論は不変ではない。例えば19世紀までは、光が伝播するのは空間がエーテルという物質で満たされているからだと考えられていた。しかしその後、マイケルソン=モーリーの実験やアインシュタインの相対性理論を経て、エーテル仮説は否定されている。エーテルという語の起源は古代ギリシャ語の「アイテール(αἰθήρ)」にあり、これは元来、地上とは区別される、はるか天上の領域を指す言葉であった。地上は人間をはじめとする死すべきものの領域であり、それに対してアイテールは、死んだ魂が向かう永続的なものの領域、あるいは神々の領域と考えられた。さらに、アリストテレスはこの概念を自身の宇宙論に取り入れ、火・空気・水・土の四元素に加えて第五元素アイテールが存在し、これが宇宙を満たしていると考えた。既に否定されているエーテル仮説、そして、それよりもさらに荒唐無稽に思える古代ギリシャのアイテール概念。これらが、くだんの、前もって形の定まっている人類の墓標に刻まれることはないであろう。この比喩において、正しくない理論は、むしろ削り落とされねばならないものなのだから。それでは、これらは全く無意味なものなのであろうか。いや、そうではない。しかもこれらは、人間にとっての意味だけではない、宇宙にとっての意味をも、示唆しうる。

前掲の物理学者は、ひとつ、決定的に重要な可能性を見落としている。それは、宇宙の物理法則は、変化を経て現在の様態になっていると考えられるのではないか、という可能性である。古代ギリシャの物理学(に相当する学問)は正しくなかった、と断じることは容易いし、事実、正しくはなかったのだろう。しかしこう考えてみても良いのではないか。つまり、彼らは物理法則を正しく理解したが、長い年月を経る間にその法則は進化を遂げ、姿を変えたのではないか、と。物理学の研究を進める上では、このような可能性を想定することなど言語道断、研究の妨げにもなりかねない無責任な蛮行である。だが、この可能性を想定することで、次のような発想が可能になる。すなわち、今後も、宇宙の物理法則は変化・進化を続けるのではないか。実際に人類が存続している間にそのような変化が生じるとは考えにくいし、古代ギリシャから現代までの間も、実際はそのような変化など無かったであろう。しかし、人間は想像力を備えている。人間は想像力によって、観念的な実験を何度も繰り返し、ありえたかもしれない物理法則の世界を、そして、今後ありえるかもしれない物理法則の世界を、思い描くことができる。物理学者は、そしてさらに言えば芸術家も含めた人類全体は、こうした仕事を今後とも続けてゆけるのではないか。これは、宇宙の行く末を構想するという点において、宇宙にとって意味のある営みである。

 地球は崩壊し、人類は滅亡する。地球が存続していれば、そこは芸術家たちの墓場になり得た。しかし地球はもう無くなる。〈私〉の墓場はどこだ。かつて、あの物理学者たちが用意してくれた墓場を求めればよいのか。あの、前もって形の定まっていた墓標を。そういえば物理学は、エーテル/アイテールの実在性を否定していた。しかし、ただ独りとり残された〈私〉は、アイテールの領域に船出することを思い立つ。そうなってはじめて〈私〉は気づく。〈私〉の墓標はまだ作られていない。これから〈私〉が、その形を構想するのだ。そしてその墓標は、宇宙において〈私〉ないし人類が打ち立てる、宇宙にとって意味のある墓標なのである。



加藤隆文(かとうたかふみ)


博士(文学)。哲学研究者としての視点から、芸術活動に関心を寄せている。専門は「プラグマティズム」の思想。


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